東日本大震災のとき、透析施設が受けた被害は今も語り継がれています。断水と停電が重なり、透析ができなくなった患者さんが施設間を移送された。電力のバックアップは発電機で確保できても、水のバックアップは難しかった——その経験が、医療機関における「水のBCP」という概念を広めるきっかけになりました。
あれから10年以上が経ちました。しかし、「水のバックアップ」を本当に整備できている施設は、まだ多くはないかもしれません。
この業界が抱える「水」の問題
透析治療は、1回の治療で1人あたり約120〜150リットルの超純水(RO水)を使用します。1日に30〜50名を治療するクリニックでは、1日あたり4〜7.5トンの超純水が必要です。
この超純水は、市水をRO膜(逆浸透膜)で高度に精製したものです。原水として市水(上水道)の供給が前提になっており、断水した瞬間に治療の継続が不可能になります。
大規模病院では、飲料水・手洗い・消毒・清掃など、生活用水全般が止まることで、入院患者の安全を守ることが難しくなります。特に、自力での避難が困難な患者を多く抱える施設では、断水そのものが生命リスクに直結します。
2024年の能登半島地震でも、被災した病院や透析施設への支援物資の中で「水」が最も緊急性の高い課題のひとつとなりました。
課題解決のために検討される選択肢
① 大容量の受水槽・貯水槽の増設 断水に備えて水を蓄えておく方法です。断水後数日間の使用には対応できますが、長期断水には対応できません。また、維持管理(定期清掃・水質管理)のコストと手間がかかります。
② 給水車・ウォータートラックの事前契約 災害時の給水を業者と事前契約しておく方法です。ただし、大規模災害時には業者自体が被災したり、需要が集中して手配できなかったりするリスクがあります。
③ 自治体の防災協定への加入 自治体と連携した給水支援を受ける取り組みです。ただし、対応の優先順位や供給量には限界があります。
④ 自家井戸の掘削 自前の水源を持つことで、上水道から完全に独立した供給ラインを確保する方法です。
井戸掘削を選んだ場合のメリット
医療機関にとって井戸の最大のメリットは「インフラの独立性」です。電力はバックアップ電源で対応できても、水は水源なしには生まれません。自前の井戸があれば、地域全体の断水が発生した状況でも、独自に取水を続けることができます。
透析施設の場合、井戸水をそのまま使うのではなく、原水として使い、既存のRO処理システムに通すという形が一般的です。原水の品質が安定していれば、RO膜の負荷を下げる効果も期待できます。
大規模病院では、非常用トイレ・清掃用水・散水など「飲料水以外の用途」に井戸水を振り向けることで、緊急時に上水道を飲料・医療用途に集中させる使い分けも可能です。
平時のコスト削減効果は、医療施設の場合は「主目的」ではありませんが、副次的な経費削減として継続的なメリットになります。
知っておくべきデメリットと、その向き合い方
水質の厳格な管理が必要 医療用途(特に透析)では、一般工業用途と比べてはるかに高い水質基準が求められます。地下水には天然由来の成分(カルシウム・マグネシウム・鉄分など)が含まれており、そのままでは使用できません。
→ 対策: 地下水はあくまでも「前処理後にRO処理する原水」として位置づけ、既存の水処理システムとの組み合わせで対応します。原水の水質をあらかじめ確認し、前処理設備の仕様を設計することが重要です。
定期的な水質検査義務 医療施設で使用する水には、定期的な水質検査が法的に義務づけられています。
→ 対策: 既存の上水道管理体制に加える形で、井戸水の検査スケジュールを組み込みます。掘削業者・水処理業者と連携してメンテナンス体制を構築します。
BCP計画との整合性確認 BCPの文書に井戸の存在と使用フローを組み込まないと、いざというとき現場が動けません。
→ 対策: 掘削完了後に、BCPの水源確保セクションを更新します。定期的な訓練で使用フローを確認しておくことが重要です。
「準備が不十分だった」と後悔するのは、常に事後です。水源の冗長化は、一度整えれば数十年にわたる安心につながります。まずは現地調査で「この立地に掘れる水源があるか」を確認することが出発点です。